”日常系ゆるパンクバンド”東のエデンが2016年11月2日(水)に2ndミニアルバム『TARI TARI』を発売する。東のエデンは富岡拓弥(Gt/Vo)、渡邉ただつぐ(Ba)、野村ユミ(Dr)からなる3ピースバンドで、自らを「ハードコア他力本願」「自宅警備ロック」などとうそぶく、一筋縄ではいかなそうなバンドだ。そんな彼らが鳴らす音楽とは?約4年ぶりにリリースした作品の制作エピソードを交え紹介する。
#1 NIRVANAで人生をこじらせた
――東のエデンは平均年齢40歳のアラフォー3ピースバンドということですが、みなさんはどんな音楽を通ってきたんですか?
富岡拓弥(Gt/Vo):ただつぐさん(Ba)とユミさん(Dr)の 2人は、80年代のバンドブームをリアルタイムで経験した世代だよね。
渡邉ただつぐ(Ba):そうだね。ちょうどその頃、高校生くらいだったかな。だからバンドブームの時代にバンドを始めて、ブームのど真ん中で活動してたね。
富岡: THE BLUE HEARTSとかBOØWYが全盛期の時代?
渡邉:そうそう。そんな時代にどっぷり音楽を始めたから、やっぱり無意識のうちに80年代の音楽には影響を受けてるんだよね。富岡はちょうどその頃生まれたぐらい?
富岡:そうだね。まだ幼稚園ぐらい。それで小学校高学年の頃には小室ファミリーがめちゃくちゃ流行ってたり、ミリオンヒットが当たり前のようにあった時代。中学・高校の時にいわゆるメロコアブームが来た世代なんですよ。
――富岡さんは、渡邉さんや野村さんとは少し世代が離れてるんですね。みなさんが影響を受けたバンドは?
渡邉:たくさんあるけど、たとえばTHE POLICEとかU2とか、80年代の海外バンドかな。あと80年代って、ちょうどMTVが出始めたころなんだよね。それで音と映像をセットで体験するようになって、「何これ、かっこいい!」っていう入り方をしたところもある。
野村ユミ(Dr):音楽を聴き始めたばかりの頃はTHE ROOSTERS(THE ROOSTERZ)とか聴いてたかな。でも一番影響を受けたのはやっぱり黒人音楽ですね。ドラムをやっているとリズムが好きになって、音楽のルーツを辿って行きたくなるんです(笑)。だからパンクとかロックを経て黒人音楽を聴くようになりましたね。
――黒人音楽というと、ブルースとかですか?
野村:いや、ファンクとかソウル。特に黒人のソウルフルな歌声が大好きで、よく歌ものを聴いてましたね。私は元々パンクミュージックをやってたんですけど、パンクをやってる人たちって実はブルースとかジャズをよく聴いてる人が多くて、それを追いかけてたら黒人音楽にハマッたという感じです。ファンクを聴いていた時期はすごく長かったですね。
富岡:俺の場合は、ちょうど中学生くらいのときにハイスタ(Hi-STANDARD)やNOFXなんかのメロディック・ハードコア、いわゆるメロコアというものが日本でも注目を集めるようになってきて、「よく分からんけど、なんか暴れるのに最適なBGMだな」って思って聴いてたんですよ(笑)。それに家が海の近くで、周りの友達もサーファーとかスケーターが多かったから、メロコア以外にもSUBLIMEとか西海岸系の音楽はいろいろ聴いてました。そしたら友達の姉ちゃんが「メロコア好きだったら、たぶんこれも絶対気に入るよ」って言ってNIRVANAの『Smells Like Teen Spirit』のライブ盤を聴かせてくれて。そこから人生こじらせたね(笑)。
野村:そうね、こじらせたね(笑)。
富岡:あれ聴いてなかったら俺、今頃もっとまともな社会人として生活送れてたと思うよ(笑)。NIRVANAにハマってからは、カート・コバーンになる事しか考えてなかったもん(笑)。おかげでNIRVANAと同時期のオルタナバンドや、カートが聴いて育った80年代のUSハードコアなんかも好きになれた訳だけど。まぁ、10年間ぐらい人生棒に振ったよね(笑)
#2 バンド結成のきっかけはmixi
――3人とも全く違う音楽を通ってきてるんですね。そんなみなさんがバンドを結成することになったきっかけは?
野村: 私と富岡の出会いはmixi(ミクシィ)です(笑)。ちょうど私がバンドを組もうとしてた頃に、富岡がmixiでバンドメンバーを募集してたんですよ。年齢は離れているけど曲を聴いてみたらすごく良かったので、連絡をとって「ちょっと一緒にやろうか」っていうことになったんだよね。
それからmixi経由で知り合ったベースに加入してもらったんだけど、2年半ぐらいで抜けることになっちゃって。そのあと新しいベースを決めることになったときに、実は候補がたくさんいたんですけど、その中から一番素敵なベースを弾いてた人にお願いしました。
――それが渡邉さんだったと。
渡邉:他に候補たくさんいたのかよ(笑)。
野村:ただつぐさんは友達の友達で、偶然彼のベースを聴く機会があったんですけど、そこで惚れ込みましたね。なんていいベースなんだろうって(笑)。だから連絡先を聞いて、熱いメールを送ってめっちゃアプローチしました(笑)。
――渡邉さんはなぜこのバンドに入ろうと思ったんですか?
渡邉:もともと“東のエデン”っていうバンドは知ってたし、ライブも見たことがあったんだけど、それまで何の交流もなかったから、急に声が掛かって正直「えぇ!?」って思ったよ(笑)。それに俺は当時ライブハウスシーンからは離れていたから、今さら戻るのもかっこ悪いんじゃないかっていう思いがあって、まあ、いろんな人に相談しましたね。でも意外と周りの人たちが協力的で、「やったほうがいいよ」って言ってくれる人も多かった。そういう周りの後押しもあって、気が付いたらバンドに入ってたっていう感じです(笑)。
#3 誰もがポップに感じる、
ちゃんとした歌と
メロディーがある曲をやる
――来月リリースされる2ndミニアルバム『TARI TARI』について伺いたいと思います。公式サイトによると、楽曲の制作自体はベースの渡邉さんが加入した2013年から始まっていたそうですね。
渡邉:あれ、実は1回ポシャってるんですよね(笑)。
富岡:当初は、ただつぐさんが入ってメンバーが新しくなったから名刺代わりの音源が必要だよねっていうことで、まず3曲セルフレコーディングで録ったんだけど上手くいかなくて。
野村:そうそう。録音含め全て自分たちで作ってみるのも面白いんじゃないかと思って始めたんだけど、ちょっと負担が大きすぎたんですよね。それで、やっぱりレコーディングはプロに任せようってことになったのが去年ぐらいかな?
渡邉:そもそも当初はアルバムにする計画なんてなくて、とりあえずメンバーが変わったから新しいものを作ろうっていう気持ちしかなかったよね。
富岡:そう。とりあえず録りためてみればいいんじゃない? っていう感じだったね。だから『TARI TARI』を作ろうと思ってレコーディングしてたわけじゃなくて、曲をためていった結果『TARI TARI』になったっていう順番なんですよ。だからアルバムのテーマこそないんだけど、「誰もがポップに感じる、ちゃんとした歌とメロディーがある曲をやる」というのがバンドのテーマだから、レコーディングも、収録曲を選定する際にもそういったところは意識した気がする。
#4 レコーディングでバンドらしさを殺したくなかった
――今回はレコーディングエンジニアにASIAN KUNG-FU GENERATIONやART-SCHOOLなどを手がけてきた岩田純也氏を迎えて制作したということですが、レコーディングする上でこだわった点はありますか?
渡邉:レコーディングしながらずっと念頭に置いてたことは、ライブ感を失わないようにすること。うちらって、自分たちをライブバンドだと思ってるんですよ。そしてライブバンドがレコーディングをしたときに陥りやすいのが、上手く弾こうとして勢いをなくしちゃったり、演奏が固くなっちゃったりすることなんだよね。
野村:そうそう、レコーディングだとバンドらしさが無くなっちゃうんだよね。
渡邉:今回はそうなるのが嫌だったから、メンバーの演奏が固くなってきたら修正したし、できるだけバンドらしい勢いやサウンドが残っているテイクを選んでいったね。ライブ感は最大限に出しつつ、ちょっと着飾ったサウンドにすることをイメージしていたかな。前に1回失敗したことがちゃんと活きたんだと思う。
野村:あと、今回は外部のエンジニアさんに頼んだことで、客観的な意見が聞けたっていうのがすごく大きかった。外部の人の意見が入ることで、自分たちも客観的に考えられるようになったし、プレイにとってもすごく良かった。
富岡:そうそう、1つ例を挙げると、自分達だけでレコーディングしてると、いくらでもリテイクできちゃうし、リテイクを重ねるうちにどのテイクをOKテイクとして採用して良いのか、決定打がわからなくなってくるんですよ。さっきユミさんが「負担が大きすぎた」って言ったけど、その負担の1つがそれ。つまりジャッジの迷いと、それに伴う時間の浪費だったりするんです。
だけど外部のエンジニアさんから「このテイクで大丈夫だよ」ってジャッジしてくれると、色んな意味ですごく楽だし、岩田さんほどのキャリアのある人が言うなら間違いないんだろうなと(笑)。それにコンソールルームからメンバーも助言や判断をくれたから、まぁ安心して判断は丸投げしてました(笑)。セルフレコーディングの時は、少なくとも自分のギターと歌録りの時は自宅で1人っきりだったので、あぁ、仲間がいるって便利だなぁって。基本他力本願ですから(笑)。
#5 MV撮影では
富岡がインスパイアされたアニメの聖地を巡礼
――ミニアルバムの1曲目に収録されているリード曲「Clear up, Cry, and sometimes Song ! 」は江ノ島を舞台にしたMVが公開されていますね。
富岡:この曲は「TARI TARI」っていうアニメにインスパイアされて作ったんですよ。だから、せっかくならMVでそのアニメの聖地巡礼をしようと思って(笑)。もう、完全に俺の趣味です(笑)。
野村:他のメンバーからしたら、ただただ謎の行軍だったけどね(笑)。
――じゃあアニメの内容を知っている人が見たら「おっ!?」と思えるビデオになってるんですね。
富岡:アニメを知ってる人が見ればね(笑)。まあ、あと俺たちってあまりMVで演技したり、演奏するフリをしたりするキャラじゃないから、そういうMVは作りたくなかった。ひたすら一人で台湾の街を歩いてるところを映した奥田民生さんの「さすらい」のMVみたいに、すごくシンプルなものが作りたかったんです。
#6 自分の気持ちに正直に。
その姿勢を貫いているから、
自信を持って「ゆるパンク」を名乗れる
――では最後に、「東のエデン」としての今後の展望をぜひ教えてください。
渡邉:俺は次回作としてアナログレコードが作りたいな。
富岡:アナログ盤いいっすね!
渡邉:なんかそういうローファイな曲を作ってよ(笑)。
野村:次回作のお題が出ましたね(笑)。
富岡:まあ、でもバンドとしての今後の展望は特にないな。というか、分からん。だって、ある日突然バンドが解散するかもしれないし、メンバーが死ぬかもしれない。今まで当たり前のように存在してたものがパッと無くなってしまう可能性はいつでもある。明日確実に東のエデンがあるという保証はどこにもないんですよ。
野村:飽きたら終わりだもんね。
渡邉:来年も一緒にいようぜ! っていう関係でもないし(笑)。
富岡:やっぱりバンドって、今この瞬間が重なってできてるものだと思うんだよね。特にライブなんてそうじゃないですか。その瞬間の一音一音、ひと声ひと声が連続して音楽ができてる。だから俺は、その時その瞬間の自分たちが記録できればいいかなと思ってバンドをやっているんです。
――東のエデンにとってバンドとは、とても刹那的な存在なんですね。
富岡:そうですね。東のエデンというバンドをやるにあたって「これは絶対にやらなきゃ」みたいな義務感を持つのが嫌なんですよ。見失いがちなのかもしれないけど、バンドをやるために生きてるわけじゃないですよね。「楽しい事をして生きていきたい」とまず思っていて、その手段としてバンドをやってる訳なので。別にやりたくなければ無理にやらなきゃいいし、やりたいことだけやればいい。自分達に噓ついて、無理してまでバンドをやる必要はないと思うんです。
俺に関して言えば、アニメのTシャツを着てることが多いのは、それが単純に好きだからなんですよ。パンクスの人達が「パンクだから」って言う義務感や安易な人真似のようなもので鋲ジャンを着たり、スパイクヘアーにしてる訳ではなくて、あくまでも自分らしくあろうとして選んだ格好をしてるに過ぎないのと同様、僕等もその時々の自分達に対して正直な姿勢を貫いているという意味では、すごくパンクなマインドを持ってるバンドだと思うし、だからこそいい加減でゆるーいありのままの自分達を偽りたくないし、偽るつもりもない。なので俺は自信を持って東のエデンは「ゆるパンク」を名乗れると思っています。
執筆:坂口文華
撮影:ossie
企画:Gerbera Music Agency