無人島に行くときは、ナイフでもマッチでもなく、わたしを持って行くのだと言った。
あいつのよこす愛情は、いつだってわたしを呆れさせた。だけど「しょうがないな」って言いたいだけのわたしには、それが案外心地良かったのもまた、事実だったのに。
「あ……。」
最後の段ボールにガムテープを貼った、その時だった。ベッド横の壁に掛かった裏返しのコルクボードと目が合ってしまった。あいつを追い出した日に、もう顔なんて見たくなくて、でも捨てるわけにもいかなくて、せめてもの抵抗で裏返した写真だらけのコルクボード。
ちいさな部屋だったけれど、5年も暮らすと案外荷物が出るもので、多めにもらったはずの段ボールはどれもぎゅうぎゅう詰めだった。大きなコルクボードが入る余裕なんて、これっぽっちもない。
「ほんとにもう、君の居場所はないんだよ」
わざと小さく声に出すことで弾みをつけて、壁のそれに手を掛けると、口にした言葉がそのまま自分に返ってきた。もうここには、お前の居場所もないのだ、と。なんにもなくなった部屋にそう言われているような気がした。
深呼吸をして、コルクボードを表に返し、そっと床に置いた。換気の為に開け放った窓から勢いよく流れ込んだ空気が冷たくて、鼻の奥をツンとさせたけど、それに負けて泣いてしまったらもう立ち上がれない気がしたから、これ見よがしに鼻を啜った。
取り敢えず、写真を剥がそう。これはただの流れ作業だと自分に言い聞かせて、せっせとピンを抜いては写真を外した。
「……あれ?こんな写真、撮ったっけ。」
特徴のない街中で撮られた自分のふくれ面。髪形から察するに半年前くらいのものだったけれど、全く記憶になかった。それに、その頃にはもうデートらしいデートなんてするような仲じゃなかったはずだ。あいつは写真が好きで、付き合った当初はどこに行ってもずっとわたしの写真を撮ってた。でも最近はどこに行っても俯いて何やらこそこそといじっているだけで、そのスマホのレンズをわたしに向けることなんて、無かったのに。
「……これもだ。」
今度の覚えのない写真は、つい最近のもの。あいつとたまたま駅で会って、ろくに喋りもしないまま一緒に家に帰ってきた時だ。家の前で出くわした散歩中の大きな犬を、わたしが撫でている写真。よく見ると、それ以外にも覚えのない写真はいくつもあった。自撮りしたであろうあいつの写真までまぎれている。わたしの留守に、あいつはずっとこのコルクボードにこっそり、写真を足していたのだろうか。
「ばかだなあ……。」
そんなこと、しなくても良かったのに。そんなことしなくても、スマホじゃなくて顔を向けてくれれば、それで良かったのに。わたしが写真を嫌がるようになったのも、もっと話したかっただけなのに。撮ることじゃなくてわたしに夢中になってよ、ってずっと拗ねていただけだったのに。だけどきっと、こんなことをするくらいには、あいつもあいつなりに寂しかったんだろうな。結局わたしたちは、そういう弱さを上手く共有することも舐め合うこともできなかったのだろう。
ちょうど、最後の写真のピンを抜いたその時、玄関の古びてしゃがれたチャイムが鳴った。頼んでいた引っ越し屋が来る時間だった。慌てて返事をして立ち上がったら、足が痺れていて転びそうになった。思いのほか長いこと、写真を外していたらしい。それでもなんとか玄関に辿り着いて、ドアを開けると勢いよく窓からの風が抜き抜けた。
「こんにちは、お荷物の引き取りに…って、あ!」
目の前に現れた若い引っ越し屋の男が、挨拶の途中で突然大きな声を上げて部屋の奥を指差した。
「え?」
事態が把握できないまま、指の指された方を見やると、ちょうど写真の最後の一枚が窓から外へと飛んでいくところだった。唖然としたまま、指を差していた男に向き直ると、なんともバツが悪そうな顔をしていた。わたしに怒られたときにあいつがする顔にそっくりで、なんだか笑ってしまった。
「いいんです。気にしないで。それじゃあ、お願いします。」
男はあきらかに安堵したトーンで「はい!」と元気よく返事をして、先輩らしき男と部屋へ入っていった。
text:イシハラマイ